「自分探し」
歩き遍路をしていますと、いろんな方と出会います。出会ってみてわかりました。みんなそれぞれ違うんだと。
誰かの供養の為。自分の限界を見つめる為。体力作り。ウォーキングが趣味。写真が趣味。散歩の延長。様々な目的の方々が集まって一緒に歩いて、一緒に手を合わす。信心の深い方も、そうでない方も。若い方も、年配の方も。体力のある方も、無い方も。自分だけを信じて生きてきた方も、自分を信じられず悩み続けてきた方も。
誰かが誰かに何かを伝えようとするとき、「みんなもそう言っている。」「みんな同じ事を思っている。」って言いませんか。その「みんな」って誰だろうか。その「みんな」って存在するのだろうか。「私はこう言いたい」「私はこう思う」その「私」をごまかすために「みんな」に責任を転嫁しているだけじゃあないだろうか。そうして自分が誰なのか解らないまま他人を、政治を、批判していないだろうか。そこに自分がつながっていることに気付かないまま。
自分の足で歩く。自分の力で進む。頑張っている自分がいる。横にもっと頑張っている人がいる。自分と他人。違っているから認め合える。
「価値観が同じだから」「フィーリングが合うから」と付き合っていませんか。それは貴方の隣にいる人が貴方に合わせてくれているのかもしれません。合わせて貰えなくなったとき「裏切られた」と辛い思いをする。よくある話です。
価値観が違う、フィーリングが違う、ファッションが違う、宗教観が違う、国籍が違う、違うからこそありがたい。
自分にないものを持った人だから吸収させてもらえる。
「釣りには鮒に始まり鮒に終わる」
列車の旅、車の旅、船の旅、歩く旅。友達との旅、家族旅行、卒業旅行、一人旅。傷心の旅、ご褒美の旅、人生の旅、自分探しの旅。芭蕉も、一茶も、放哉も、山頭火も。「旅はいろんなキッカケで始まり自分探しに迷い込む」のです。